Sunday, August 01, 2004

イギリス留学メモ(1)

きっかけは何であれ大切に。
行動を取れば「目的意識」は後からついて来る。


手塚治虫のブラック・ジャックに憧れて医学部に入った人がいるといった話をしばしば耳にします。そんなうちの一人、Aさんは結果として小児科医になったそうです。Aさんにとってブラックジャックはカッコいいお医者さんを目指すことになった「きっかけ」で、医学部はその為の漠然とした手段でした。初めから特定の「目的意識」(脳外科医になりたい)があって医学部を受験するBさんという人もいるでしょうが、Aさんみたいな憧れも、それが小児科医という具体的な結果を生み出していければきっとありですよね。
僕は、留学を漠然と考える人の立場はこんなAさんと似ていると思います。少なくとも僕はそうでした。

この場合大切なことは、Aさんは必ずしも最初から脳外科医や小児科医を目指して受験勉強をしたは訳ではない、ということだと思います。同じく僕の場合、今はヨーク大学の歴史学科で18世紀イギリス文化史を専攻していますが、それが留学の「目的意識」として始めからあったのではありませんでした。僕は、大学3年生の夏休みにした1ヶ月の短期留学でイギリスに漠然とした憧れをもち、それがきっかけで初めて留学というのを考え始めました。三年生の秋にもなれば就職活動も始まります。友人がエントリーを始めるなかで、僕は大学院留学か就職か、という板ばさみになりました。その時僕の心の中でイチバン重くのしかかってきたことが、「目的意識」のことでした。

僕は漠然と留学をイメージし始めたとき、イギリスの大学院で自分がどんな勉強をしたいか、またそれが僕の将来にどのように役に立つのかについて漠然としたイメージすら持つことが出来ませんでした。つまり「目的意識」や「大義名分」のようなものがありませんでした。その一方、就職という選択肢は大部分の学生が積極的にであれそうでないであれ選択する道で、僕にも当然それが期待されていました。なので僕が「大学院留学」ということを口にしだしたとき、色々な説明を求められました。何でイギリスにわざわざ勉強しに行くのか、日本の大学院ではいけないのか、なぜ今なのか、一度働いてからの方が寧ろ良いのではないか、ただ何となく「視野が広がる」ことを期待して留学を考えているのならやめた方がいい、何も得られないのではないか、そういう疑問です。それらを家族や友人達は敢えて僕にぶつけてくれましたし、自分の方でもそれに促されて、繰り返し自問することになりました。

大学3年の12月から3月くらいにかけてはイチバン心理的に厳しい時期だったように思います。簡単に説明できるような「目的意識」をまだ持てていない自分が、短期留学でもった漠然とした憧れを理由に就職をせずに大学院留学を志望していいのだろうか、これは本当に辛い質問で、かなり滅入ってしまいました。
今思うに、この時期は自分の留学への気持ちの強さが試されていた時期で、同時にその漠然とした憧れを肯定しつつ、具体的な行動に移していけるかどうかが問われていた時期だったと思います。

医学部のAさんにしても、似たような時期があったでしょう。医学部受験のためには、ブラックジャックを読み耽るのではなく、行きたい大学を調べ、予備校に通い、そうやって宙に浮いた憧れに手が届くように、少しずつ足場を築いていったに違いありません。

僕の場合は留学について本当に何も知らなかったので、とにかく留学について手当たり次第調べてみることから始めました。大学の国際センターに行って留学、奨学金関連の資料をかき集めること、British Councilでの英国大学院留学の説明会に出ること、ゼミの先生に相談する、友人のお兄さんで留学経験がある人の話を聞く、などしました。そうする中で知ったのがロータリー財団の国際親善奨学金でした。これに思い切ってトライして運良く選ばれたのが、僕の大学院留学を決定的にしました。(僕は就職活動は殆どしませんでした、スーツを2・3回着た程度です。もっとやってみてもよかった気も今はします)。

振り返ってみて重要だと思えるのは、「目的意識」の無さを認めた上で、それでもイギリスに行きたかった自分の気持ちを大切に出来たことだと思います。これは、単に自分の考えに固執することとは違います。むしろ、なんで自分がその考えを大切にしたいのかを突き詰めて考え、説明する努力が要求されます。また、具体的な一つのビジョンが無いのであれば、自分の前にある選択肢が何なのかをよく把握しておかなければなりません。学部の卒論も書かないうちに、その後で何を勉強したいか、なんて分からないですよね。だから、分からないなりに、自分が選ぶかも知れない研究分野はこれやあれで、それならこの大学やあの大学にこんな先生がいて、こんな講座があるとかを調べるわけです。就職も有益な選択肢なのであれば、少しやってみるのもやはり大切なことだと思います。留学がその後の自分の将来にどう役立つか、ということについても同じです。一つのビジョンに絞れないなら、それなりに複数の選択肢を自覚して、そこにアクションをしかけていくことが大切だと思います。

僕が奨学生の選考に選ばれた理由があるのなら、「目的意識」が曖昧ななりに、自分の複数のビジョンをしめし、また自分がどのような憧れを持ってイギリスへの留学を志望したかを強く打ち出せたからじゃないかと思います。これは友人や家族との長いやりとりの賜物で、本当に感謝しています。

その次の夏までには、政治学科で思想史のゼミに所属していた僕の卒論のテーマは、イギリスのロマン派詩人の政治思想になっていました。イギリスに行くことのもっとな理由というのは、後からついて来たわけです。これもイギリスへの憧れが僕をそこに引き付けて行ったことの産物だと思います。(ここからさらに紆余曲折を経て、今の専攻分野、18世紀イギリス文化史にたどり着きました)

僕は、脳外科医を志して医学部受験するBさんのやり方を批判するつもりは全くありません。それどころか、留学においても、具体的目的は早いうちからあるに越したことはないと思います。ただし状況によっては(僕がそうであったように)漠然とした憧れが先立って、それが強く自分を引っ張っていくことがあってもいいし、それも一つのやり方なんだろうということです。

僕が留学の準備段階から学んだこと。

1)何かに憧れる時、ハッキリした「目的意識」が無いからと言って、焦らなくてもよい。
2)それでもやりたいのならば、その気持ちを大切にして、少しでも行動を取ってみる。
3)具体的な「目的意識」が一つに絞れない時は、何が目的になりえるのか考える。
4)真剣に考え、それを行動に移していると、もっともな「目的意識」は後からちゃんと見つかる。

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